アラジンと魔法のランプは中東の子供の夢?

こんにちは。

日本でも、昔話は学校でも家庭でも子供たちは
親しんでいるものと思います。そして、日本人の
物事に対する考え方、接し方、対処の仕方の
代表的な振る舞いが書かれているように思います。
それを、日本人なら誰もが、共感し理解できる事でしょう。

たとえば、舌切り雀を助けたお礼に、大きな箱と小さな箱
どちらを選ぶか。

日本では小さな箱を選ぶのが正解で、小判がたくさん入っています。

また、桃太郎では、鬼が悪いことをしているものとして
退治することを前提に物語が進み、鬼を殺してめでたしめでたし。

交渉の余地がありません。

このような物語に子供のころに触れることによって、
日本人のアイデンティティが植えつけられるということは
ないでしょうか。

中東やインドでは、同じような昔話として
『アラジンと魔法のランプ』があります。

シンドバットやアリババなどのアラビアンナイトの、
共通する物語のストーリーは、

主人公が旅に出ます。そして、旅先で宝物を見つけ、
それによって評判が上がり、その地域の王様や権力者の、
ものすごく美人の娘と結婚し、幸せに暮らしました

という内容です。
(アラビアンナイトを読むとこんな印象を受けました。)

この物語を子供のころに読み親しんでいるアラブ系の人たち、
もしくはその周辺国の人たちは、外へお金を稼ぐため、
夢を見つけるため、国を離れていくことが豊かな生活を
送るための要素であり、さらに美しい妻を手に入れることができる

なんて考えることが常になるということにはならないでしょうか。

中東で、石油王が存在すること、さらに、世界中にそのエリア出身の
人々が進出していることを考えると、その地域の人々に備わっている
性質の一つであるように感じられるのです。

一方で、ヨーロッパで有名なガリバー旅行記。

ガリバーは何度も船で冒険に出て、その先々で
いろいろな珍しいものを発見し、その国の人々と
仲良くなってゆき、様々な問題や事件を解決して、
英雄になって自分の国へ帰国する。

これが欧米諸国の人々が持つアイデンティティとして
備わっているのでしょうか。

ある研究では、幼児期の読み聞かせで、
幼児は記憶したり認識したりはできないが、
成長し認識できるようになったときに、その子供の考え方や
物事の記憶の仕方などに影響を与えるとの結果が出ている
という報告があります。

この説がすべての子に当てはまるなら、幼児期の読み聞かせの内容によっては、
子供の考え方などが通常一般的な日本人の考え方と異なるように
なるのではないでしょうか。

グローバルな考え方を持つ日本人が、読み聞かせによっては
形成されることもあるのではないでしょうか。

みなさんはどう思われますか。

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