どのようにしてインドでは仏教が衰退したのだろうか

こんにちは。

自分自身は無宗教だと考えますが、
日本人は仏教の宗派のどれかを持つ人が
多いかと思います。

8月13日から15日のお盆の間は、先祖を迎える習慣が
ある人が多いことでしょう。

仏教の発祥はインドです。しかしながら現代のインドでは
ほとんど仏教関係の歴史的な建造物は残っていません。
残っているのはヒンドゥー教と共通のものばかりです。

そこで、今回はインドで仏教が衰退した状況を
整理しておこうと思います。

インド発祥の仏教はどのように衰退したのでしょうか?

当時、シャカ族の王だったガウタマ・シッダールタが、
29歳の時、その地位と家族(妻と子)を捨て、
35歳の時に悟りを開きひろめるようになりました。

これが仏教のはじまりです。
その考え方が、バラモンの権威とヴァイシャ(庶民)の差別を
否定していたため、クシャトリアやヴァイシャの間でひろまりました。

仏教は、紀元前4世紀ごろ設立したマウリヤ朝や、1世紀ごろには
イラン系のクシャーナ朝の保護を受け栄えました。

この頃にギリシアの影響を受け、初めて仏像などが作られるなどして
ガンダーラ美術も広まりました。

その後、4世紀に建設されたグブタ朝の時が仏教の最盛期で、
グブタ様式の仏像が作られ、アジャンター石窟寺院の壁画などが
よく知られています。

また同じころ、バラモン教と民間信仰が融合したヒンドゥー教が
広まりつつありました。

7世紀に、ヴァルダナ朝が設立したあたりから、
北インドの諸王侯の間で紛争が頻発し、
商業が衰えることにより、資金の援助を失った仏教は
衰えていきます。
そして逆に、ヒンドゥー教が定着していったのです。

10世紀ごろから、アフガニスタンにおこったガズナ朝や
ゴール朝がインドに進行を繰り返し、13世紀には、
イスラム教徒のゴール朝の解剖奴隷出身のアルバクによって
デリーに奴隷王朝が建設されます。

その後のイスラム王朝であるデリー・スルタン朝の時代に、
仏教は弾圧されインドから淘汰されていきました。

インド国外に逃れた仏教徒は、中国、東南アジア、日本へ渡り、
その当時の主権者に受け入れられていきます。

一方で、インド国内に残った仏教徒は、その争いごとを
好まない性格から、他宗教へ改宗したものが多いそうです。
ヒンドゥー教に改宗した人々は、住人とも認められない
スードラよりも下の階級に位置付けられました。

その後、16世紀にイスラム教のムガール帝国が建設され、
イスラム教の国家が続きます。

まとめると、仏教は、13世紀にほぼなくなり、
仏教徒はインド国外へ行くか、他宗教へ改宗しています。

仏教徒が、ほとんどインドにいないのはこうした背景があるのです。

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