インドの歴史をコットン産業から確認する

こんにちは。

今回は、インドの歴史をコットンを中心にまとめておきます。

インドのコットンはインド発祥のものであり、古くは
インダス文明のころから栽培がされていました。

インドは伝統的な綿織物の産地であって、
インドの主要輸出品として、陸路や海路で
さまざまなところへ輸送されました。

15世紀頃からはポルトガルとの貿易で、主要な
産物となりました。16世紀にはフランス、イギリス、
オランダとも交易、17世紀にはフランス、オランダを退けた
イギリスの東インド会社がインドとの交易を独占するように
なります。

18世紀になると、イスラム教のムガール帝国が
イスラム教徒へは課していない人頭税などの税金を、
ヒンドゥー教徒へ適用し始めたことから対立が発生し、
やがてムガール帝国の勢力が衰えていきます。

そして、実質支配を強めていったイギリスの
東インド会社によってインド帝国が建設され、
イギリスのヴィクトリア女王がインド帝国の皇帝を兼務しました。

その事により、インドを統治する必要のなくなった
東インド会社は解散します。

その間にインドの、上質のコットン製品(キャラコ、モスリン)が
ヨーロッパへ輸入されていきました。

産業革命が始まると、イギリスは自前で綿織物を生産するように
なり、インドからは綿花を輸入し、各地へ販売するようになります。

しかし、インドの手織り綿製品の品質の良さが根強い人気があることと、
ヨーロッパへの輸出品にイギリス産に不当な関税がかかるなど、
(↑ナポレオンの大英帝国への腹いせにより)
政治問題で不買されるようになり、イギリスは生産過剰の綿織物を
インドへ輸入するようになったのです。

インドで流通させるため、そしてインドの伝統工芸人による綿織物を
衰退させるため、イギリスは職人を弾圧する行為に出ました。

主要生産地では15万人いた町の住人が
2万人まで激減したといわれています。

この際の弾圧は議論が様々です。インドの職人に仕事をさせないため、
殺したり、手を切り落としたり、目をくり抜いたり、等ということが
行われた話もあります。

これにより、インドのコットン織物の生産は衰退し、
綿花の輸出国家となりイギリスの産業革命を支えました。

しかしながら、19世紀後半からはイギリスから輸入した
機械を使い、インド人による工業制綿織物業も始められました。

また、スワデーシ(国産品愛用)運動が始まることで、
インドの機械制綿業が広がることになります。

さらに、ガンジーが、自ら綿花から糸をつむぐパフォーマンスで、
手織りの綿織物を推奨したり、糸つむぎ車をイギリスに抵抗する際の
シンボルとして利用して、独立運動を行い続けられました。

インド帝国は、第2次世界大戦後にインドが
イギリスから独立するときまで続き、その間に、
都市部や産業分野でカースト制が崩れ、独立後に
カースト制が廃止されることになります。

インドの産業は、綿花産業、綿織物産業とともに発展してたのです。

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