8月15日は日本ではお盆で終戦日、インドでは独立記念日

こんにちは。

今回は、8月15日について書きます。

8月15日は、日本の第二次世界大戦の終戦日です。
同時にインドの独立記念日に当たります。

大戦中より両者の関係は良好だったようで、そのことが起点となり
インドのイギリスからの独立に寄与したといわれています。
そして、インドでは日本に対して良いイメージが定着しています。
どんなことがあってインドの独立に寄与していったのか、考えていきます。

一般に、各々の地域で歴史の見方は異なってきます。
その権力者によって歴史の正しい流れは記録に残らない場合もあり、
のちに事実が明らかになって、訂正さていることもあります。

最初に、日本国内の学校で教えられるインド独立について記述します。

イギリス領インド帝国の時代に、イギリスは、第一次世界大戦にインド軍への
協力を要請し、その見返りとしてインドの自治を約束させます。

しかし、戦後、認められたのは一部の地方自治の自治であって
インド側の不満は募り、今後の軍事協力をインド負担で行わないことを
イギリスに認めさせます。その間に、イギリスはイスラム教徒、
ヒンドゥー教の宗教間の対立を起こさせるようにしてしまいます。

イギリスで、法律を学び弁護士になったガンディーがインドに戻り、
イギリスからの独立運動を『不服従、非協力』を掲げて行きました。
その間に第二次世界大戦が勃発し、イギリスはインドに再び派兵を依頼しました。

この派兵によって、イギリスはインドに対して莫大な借金を
負うことになります。経済的にインド、イギリスの関係が逆転することによって、
戦後、イギリスは独立を認めざるを得なくなり、
1947年8月15日にインドはパキスタンと分離独立することになります。

この独立に際して、宗教間の対立から、イスラム教国家のパキスタン、
そして、実質的な民主国家のインドが設立されます。

両国が領有を主張するカシミール地方の領土問題のために、
現代でも紛争多発地になっています。

これが、日本の世界史で習う流れです。

しかし、インド、東南アジアでは、大戦中の日本軍の活動が
独立運動の起点としてなったことが教育現場で教えられています。
次に、その地方で教えられている歴史を書きます。

植民地時代が続いていた東南アジア南アジアでは、
日本軍が侵攻することによって各民族間の民族意識が変わり、
欧米の植民地支配からの独立を求める声が次第に
高まるようになりました。

インド人のチャンドラ・ボース(インドのナショナルファイターズの一人)が
当時の日本軍の責任者の東条英機に協力を求め、日本軍とインド軍が協力をし、
ミャンマーを経由してインドへ侵攻します。(インパール作戦)
日本はそのまま敗戦に向かいますが、インドは、このインパール作戦を
契機として独立運動が大きくなって、独立に向かうことになります。

この際の日本軍の活動のため、他の南インド、東南アジアでも、
民族の独立運動が盛んになり、その起点となった日本に対して
好意的なイメージが生まれました。
教育現場でも、この歴史が教えられているようです。

以上、インドの独立の歴史を見てきましたが、歴史上で言われてることについて
幾通りにでも解釈が違う視点で行われます。

国によっては、都合の良いように解釈されているということを念頭に入れ
他の国の人と接していかなければならないことを認識できる話の例です。

特に、現地に滞在するときには、現地の視点を学ぶことが重要なってくるでしょう。

インドは、8月15日は政府のお休みであり、当日はお祭りが各地で行われます。

インドの歴史に関連した記事

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする